ジェノサイドの丘 フィリップ・ゴーレイヴィッチ

We wish inform you that tomorrow we will be killed with our families


ジェノサイドの丘〈上〉―ルワンダ虐殺の隠された真実  ジェノサイドの丘〈下〉―ルワンダ虐殺の隠された真実


映画「ホテル・ルワンダ Hotel Rwanda」を観たので、この機会に柳下毅一郎氏が翻訳した「ジェノサイドの丘」を読んだ。「ホテル・ルワンダ」が公開中なので貸出中かなと思いつつも久しぶりに図書館へ行って借りてきた。


旧ユーゴ国際戦犯法廷で公判中だったミロシェビッチが11日にハーグの拘置所で死亡したので、昨日、今日と新聞記事を読んだ。
国際面で大きく報道された激化するボスニア内戦とNATO空爆に対して大虐殺が行われたルワンダのことはまったく報道されなかったと書かれたあとがきを読んだばかり。ユーゴスラビア紛争にも明るくないが、ミロシェビッチが一貫して自分たちが被害者というセルビア人の民族意識に訴えかけていたところなどは、ルワンダでも同じだ。


ホテル・ルワンダ」はポール・ルサセバギナさんの視点に絞っていて、やはりよく出来ているのだと思う。本を読むと状況はやはり複雑である。「ホテル・ルワンダ」を知るまで本当に何も知らなくて、映画を観ただけなので。
ちょっと驚いたのは当時の国連高等難民弁務官緒方貞子さんだったこと。
また人道援助が武装キャンプの維持に利用され、虐殺を行った殺人者に利用されたことにも驚いた。
国連の対応の経緯を読みながら思い浮かんだのは、「事件は会議室で起きているんじゃない。現場で起きているんだ!」という「踊る大捜査線」のキャッチフレーズ。
本を読んだのは、どうにも想像がつきにくいので前後などもっと知りたいと思ったから。しかしザイール=コンゴということも知らなければ、コンゴ内戦も知らず、アメリカはクリントン元大統領もオルブライト元国務長官ルワンダを訪問し謝罪していたのも知らず、という感じで何かを知るたび知らないことが増えていく感じだった。読んでいても数十万人・百万人の難民キャンプとか、また想像がつかないことも多かった。


ポール・ルサセバギナさんが自分がやったようなことをやっている人が大勢いると思っていて、あたりまえのことをしただけだと思っているのがやはり印象に残った。最後のほうにある小説を読んでいる著者と友人のルワンダ人の会話で、ルワンダ人が小説には終わりがあるからいい、「ジ・エンド」はすばらしい発明だと言うのも印象に残った。自分たちにも物語はあるが「ジ・エンド」はない。虐殺が終わってもルワンダルワンダ人として生きていくことはこれも想像がつかないくらい大変なのだ。


ホテル・ルワンダ」のパンフレットは買おうと思ったけれど、小さな映画館で観客も多くて気付いてもらうのにかなりの時間がかかりそうだったのできらめた。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060308#p1
http://d.hatena.ne.jp/kemu-ri/20060304
パンフレットの町山智浩氏の文章がblog↑にアップされているので読んだ。
映画を見て感じることは人それぞれだけど、改めて例のblogを読むとひどい。
本を読んでも、映画を観ても恐ろしいのは普通の人がいとも簡単に殺人者となってしまうこと、中立はありあえない、殺すか殺されるかという状況になってしまうことだった。どこでも、誰にでもおこりうることとして、自分だったらと想像するとまた恐ろしい。今は頭の中でどうすべきかわかっているけれど答を先送りして、恐怖と対峙した時には正気でいたいと思うのが精一杯。