Maria Gabriela Epumer

誤訳だらけだとは思うけれど Grammy.comの記事を残しておくことに。

GRAMMY.com2003/7/31付けの記事より
(記事中リンクは勝手につけてます。)


忘れられないアルゼンチン・ロッカー、マリア・ガブリエラ・エプメール


 6月30日月曜日にアルゼンチンのロックギタリスト、マリア・ガブリエラ・エプメールがブエノス・アイレスの病院で死亡。8月1日には40歳の誕生日を迎えるはずだった。エプメールはアルゼンチン・ロック界において女性の先駆者であり、アルゼンチンロックのカリスマであるCharly Garcia*1のリードギタリストでもあった。ソロ・アーティストとしても活動をし始めていたが、マスコミにはほとんど見落とされてしまっていた。急逝してしまったことでやっと彼女の音楽性や個人としての魅力がふさわしい評価を受けることになるかもしれない
 3枚目のソロアルバム「Compilady」のツアー最後の数日、エプメールは体調を崩ししつこい風邪の症状に悩まされていた。6月21日、アルゼンチンのマーデルプラタのStudio Cafeでのライブが最後のステージとなった。エプメールが意識不明で運ばれた病院によると蘇生処置を施したが外傷はなく発作による原因不明の心肺停止で死亡したという。この記事を書いている今でさえ検死の結果がでていなままである。彼女の年齢は若く、ヘルスコンシャスな人物としても知られていたので突然の訃報であった。
 「ロックとドラッグというバカみたいな連想をして不審死についてあれこれ言うマスコミの戯言にはうんざり」と友人でありエレクトロニック・バンドAcidaのメンバーAlina Gandiniは言う。「とにかく今度の事に限ってはまったくの誤解よ」
 エプメールは家族と親しい友人らによってチャカリータ墓地に埋葬された。葬儀には多くの友人や音楽仲間が参列した。ラテングラミー賞にノミネートされたCharly GarciaとLuis Alberto Spinetta*2、受賞者のFito Paez*3のアルゼンチンの3大ロッカーも参列した。
 「初めてCharly Garciaのバンドでプレイする彼女を見て以前のバンドのギタリストとまったく違うと感じたよ」と話してくれたのはTweety Gonzales。彼もAcidaのメンバーでありラテン・オルタナティブ・ミュージックの最高のプロデューサーの1人で、エプメールの3枚のアルバムをプロデュースしている。「彼女は商業的ななことは一切考えず、いつも徹底していてすべてにおいて音楽的にアーティストとして最善を尽くそうとしていた。彼女は典型的なギター・ヒーローではかったが、他の何かがあったよ… Charly Garciaならわかるはずだ」
 La Lay*4Los Fabulosos Cadillacs*5のマネジャーでラテン・オルタナティブ・ミュージック・カンファレンス(L.A.M.C)(エプメールも参加)の創始者であるTom Cookmanは「ラテン・ロックンロールの殿堂があったら彼女は最初の投票で殿堂入りするだろう」と評価する。
 エプメールはミュージシャンであるLito Epumerの妹で、先駆的な女性ブルースシンガーCeleste Carballo*6の姪にあたり、タンゴの名歌手Agustin Magaldi*7のギタリストだったJuan Epumerの孫娘でもある。彼女はランケル・インディアンの血をひくことを誇りに思っていた。同胞であるもう1人の著名なアルゼンチンの女性ロッカーErica Garciaは彼女をよく知るチャンスがなかったことを残念に思っている。
 「私たちは友人ではなかったけれど、キャリアの上ではお互い常に存在を意識していた」というErica Garciaはこの訃報に動揺を隠せない。「彼女はおとなしい人に見えたけれど、悪い印象をうけたことは一度もないわ。彼女には賢者が沈黙しているようなところがあった」Erica Garciaはエプメールの叔母のCeleste Carballoのライブにインスパイアされてロックを志した。
 エプメールはCaludia SinseiとAndrea AlvarezとRougeというバンドを始め、後に女性だけのバンドViuda E Hijias de Roque Enroll(Widow and Daughters of Rock and Roll)を結成して1983年のデビュー盤は20万枚売れた。それから2枚のアルバムを出しセッション・ミュージシャンとてし多くの活動をし、1994年にCharly Garciaのバンドに参加しててアルバム5枚を録音した。Charly GarciaのMTV Unpluggedのライブ「Hello」でのパーフォマンスは素晴らしく、彼女の存在は歌とギターソロでガルシアと同じくらいバンドになくてはならいないものである。1995年にロバート・フリップと出会いギター・クラフトのセミナーに参加して、Los Gauchos Alemanesとアルゼンチンツアーを行った。
 ソロ・アーティストとして3枚のアルバムをリリースしファンと批評家のあいだでそのカルト・ステータスは揺るぎないものとなった。最後となったアルゼンチンツアーで体をこわすことになったが、彼女の訃報はショッキングで信じがたいものであり予期せぬ結果である。振り返ってみると彼女の著しいレコーディング・キャリアは、事実上彼女と同世代のすべての偉大なミュージシャンとの活動を経て、彼女自身の音楽でブレークスルーできた真摯なミュージシャンであることを示しているようにみえる。

*1:チャーリー・ガルシア

*2:ルイス・アルベルト・スピネッタ

*3:フィト・パエス 映画「ブエノスアイレスの夜」の監督でもあり主演のセシリア・ロスは夫人

*4:ラレイ

*5:ロス・ファブロソス・カディラク

*6:セレステ・カルバージョ

*7:アグスティン・マガルディ